新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地!/妹が嘘を貫く理由 [PR]オアシスナビで老人ホーム探し:全国1800以上の施設から比較検討

 新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地!
 室井宏太
(2001年作)

読者参加大歓迎!プロ、アマ不問貴方の探偵力に期待します。ゲーム感覚でご協力下さい。

   
 新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地!【一章】 

 磐越道開通、津川インター開設により国道沿い津川カントリー地続きの六千坪は、坪三円にも満たなかったのが今や予想外の大高騰!父と一緒に、その山林の実測に同行し余った六千坪を僕が確かに権利書と共に受け取った。津川町役場に行って登記簿謄本を閲覧すれば一目瞭然。必ず謎は解けます。状況証拠とも云うべき僕のノンフィクション。最後まで読んで下さい。
 読書の途中での行動開始も勿論大歓迎。情報は表紙アドレスまでご連絡下さい。なお調査費用、謝礼も含めてオール成功報酬とさせていただきます。理由は現在極貧の身なので何卒ご了承願います。あとは僕を信じる方のみがラッキーと成る事を室井宏太、必ずお約束致します。
結果については、このシリーズで発表致します。それではスタートよーいドン!
 津川カントリーは不動産の名門、渋谷の建商株式会社が経営している。建商の実体は警視庁の内偵も遠く及ばない。その理由は簡単だ。本社渋谷。支社平塚市となっているが本当はコングロマリットに近い。ダミーの正確な数は尾崎社長と津村氏それに僕の従兄弟のIBM関連会社ファーストマネジメント社社長波多野晃一など限られた人間である。勿論、僕の父室井栄光は何でも知っていた。だが、死んだ。今、そのことには言及しない。また建商が桜ヶ丘にビルを建てる前の南平台時代に父の紹介で参加した国粋会落合一家七代目総長、関谷耕蔵親分の事についても今は差し控える。先頃引退したのは承知しているが、生前の父に、お前は郡山で命を助けてもらったのだから何をされても仕方ないと口が酸っぱくなるほど言われ続けたので、本当は黒だが白と言われりゃ白ですの心は忘れるはずもないが、七十六歳に五十七、なにやら楢山節考思い浮かべる今日この頃、僕はインスリン二十年の失明寸前の余命僅かな身。れっきとした堅気の町人守っているのにあの仕打ち……一寸の虫けらにも五分の魂はあるそうな…。
 昭和四十八年雪の中、郡山のムロイ企画郡山分室の僕の自宅兼オフィスに、父は愛車のファイアーバードを、渋谷から飛ばしてやってきた。父と僕の共通点は車である。『隆夫、今日は会津の方までお前の車で行ってくれ。オウさんと一緒なんだがこの雪道じゃ国産車の方がいいだろう?』オウさんというのは建商の尾崎社長のことだ。僕は尾崎社長と挨拶を交わして、僕の車、二代目ローレルハードトップSGXのハンドルを握った。後部座席には父と尾崎さんが雪道と砂利道とではどちらがスリップしやすいか等と雑談を交わしていた。国道四十九号線、中山峠あたりから雪道はアイスバーンと変わったが、グットイヤーのスパイクタイヤは難なく走破、猪苗代湖を過ぎて目的地に着いた。
 本格的なモーターリゼイションを向かえて、オートキャンプ場を含んだ一大レジャー施設の開発企画が浮上していたのだった。『船木に根回しはやらせておいたから、もう一本化している。後は渡部議員が認可を取り付けるだけだから赤ん坊あやすより簡単だよ』父のジョーク混じりの説明に尾崎社長も満足そうな笑みを浮べていた。船木さんは福島の大手、朝日開発の社長で父の忠実な福島県のパートナーであり、実力者でもあった。自民党の渡部恒三とは同郷の親友であり、船木さんの弟さんの結婚式の仲人も渡部恒三であった。朝日開発の建築部門を担当していたので、僕が郡山の自宅敷地内に建てた開成コーポラスの設計から完成に至るまで、全部、弟さんに任せた。支払いだけは父の役目だ。船木さん兄弟には本当に公私共々お世話になった。特に私の部分で嫌な役を全部引き受けてくれた。父に僕の事を頼まれていたのだが、生きているうちにもう一度会いたい。僕の六千坪の土地の重要な鍵を握っている生き証人でもあるからだ。何故ならその土地の権利書は僕が後で真相を述べるが、僕が家を空けた一ヵ月の間に当時の僕の女房と娘二人と共に消えたからだ。父も僕も税金対策で夫婦別称を法制化される以前から実施していた。富士真奈美の従姉妹にあたる(岩崎えり)が三つ年上の僕の姉さん女房だった。静岡県駿東郡出身で家系は岩崎財閥に辿る。体格も顔つきも富士真奈美にそっくりで、シーボン化粧品長後営業所に僕が営業でいた時の女上司でもあった。所長と不倫関係にあったのを僕が所長から寝取った。父はお前は悪い所ばかり俺に似てくると云った。
『続く』
 


 新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地!【二章】

 父室井栄光は後年、僕に泣きながら『隆夫!俺はもう充分過ぎるほどお前に償いは果たした。何も事情を知らない連中が、親戚にしても建商にしても無責任な事を云う。俺がお前に甘いからだ金を渡すからだと……口で云うのは誰でも云う。懐が痛む訳ではないから何とでも云える。
 俺の眼の黒いうちは仏作って魂入れずに成らないよう必ずお前を社長にしてみせる!駄目のときは俺を恨むな…そして俺の敵をヤレといったら殺してこい。ま、そんなことは無いと思うが、関西から会長気いつけてやという電話が増えてきているし、俺自身もうそんなに長くはない。これからは後で云った云わないのトラブルが俺の死後必ず起きるから、全部盗聴記録しておけ』父の生前遺言の声を僕はこの十年間耳にタコが出来るほど聞いている。父が縁あって、旧本多会の黒崎房二の舎弟であった事も多くの人は知らない。僕は若き日の黒崎親分と逢っている。第一印象は関西極道の親分を間近にしてただ圧倒された。そして大阪にも地下鉄江坂駅の近くに東急イン東急ハンズがオープンすることとなり、『これも会長の仕事です一泊していって下さい』と父の死後、黒崎軍団に招かれ東急イン江坂に泊まった。昭和六十一年五月五日に父が用意した浪速区敷津西二丁目の第一敷津グレースハイツ406の自室で隠居していた黒崎親分は強盗に殺され八十年の人生を終えた。父はその黒崎軍団親睦会の会長だった。
 僕は、はっきり云って津川カントリーを経営する建商の尾崎社長の僕の弁護士に対してとった行動を許すわけにはいかない。『室井なんて可哀想な借金まみれの男だから事務所の片隅に机と椅子貸しただけで会長の名刺など勝手に作っているとは知らなかった。現金も二千万ほど貸してあるが死んでしまったのでは仕方ない。損失金として処理するつもりだ』
 今、尾崎社長の健康状態も把握したうえであえて宣言する。僕は腹括って事実を追求しているのだ。僕の息の根止まらないうちはネバーギブアップ。田端新町の物件しかり。サイパンのゴルフ場しかり。父ははっきり僕に言い残している。聞かしてあげる何時でも……
 『隆夫、今俺が電話して今日中に三百億、用意出来るのは五洋物産の佐藤と泰斗の小柴だけだ。バブルははじけた。お前にやるこの百万は二、三年前の一千万に相当する。今の俺にとってはな、無駄に使うなよ…なに、まだ俺には信用が残っている。信用だけで生きているのだ。信用があるうちは金も回せる。これだけは覚えておけ、今取りかかっている仕事はオーバーじゃなく六千億の大プロジェクトだ。俺は写真を撮るだけで海外に行ってる訳ではない。仕事で行ってるのだ。解ったな?よし、解ったら今日はもう帰っていい。(ばらべる)でも(明日香)でもちょっと顔だして一曲歌って帰れ』ここに父の優しさがある。自分の愛人達の店には少しでも売り上げに協力するのだ。一介のホステスが渋谷に三軒、横浜に一軒の高級クラブ(ばらべる)を持てるようになったのは建商の尾崎社長が云う事務所の片隅に机と椅子を貸してただけの借金まみれの父、室井栄光ではなかったのか?最も父の死後はさっさと関谷耕蔵親分に乗り換えてゲームセンター始めるも、あっと云う間にゲームオーバーでクローズ。つわものどものゆめのあととなりやした。五洋物産の佐藤敏夫会長もそのてんだけは僕と同意見で『隆夫君の気持ちは良く解るよ。そういう人とは付き合わない事だよ頑張ってくれよ頑張って下さい』
 佐藤会長の声も聞きたきゃ何時でもDATで
聞かせてあげる。父の入院していたベットに、
『隆夫君、それで君の気が済むなら…金額はい
いよ。ただ一千万じゃない。それ以上とだけ…
別に恩に着せるわけじゃないから……』
 建商の貸し机勝手に使っていた乞食の父に随
分多額の見舞い金。さて室井栄光に報告『おと
うちゃんの言付け守って、全部HPネットに』
『続く』


     写真は父とばらべる慶子マリアン友久↑(画像は工事中)



 新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地!【三章】

 僕は岩崎えりさんには本当に申し訳ないことをしたと思っている。彼女と彼女の二人の娘は僕になついて藤沢、横浜、高尾、郡山と転勤といえば聞こえはいいが、無責任で我儘な僕の為に良くついてきてくれた。昭和四十六年郡山市開成四丁目百四十八番地に落ち着いた時には、娘達も開成小学校に転入し、彼女もほっとした幸福の絶頂だったのかも知れない。
 傍目にも幸せな家族と思われてたその幸せを破壊したのは誰あろうこの僕だ。全責任はこの僕にある。泥棒にも三分の利を許してもらえるなら一カ月もたたないないうちにさっさと土地の権利書もって鎌倉の実家に帰ってしまうとは……と思わなくもないが総ては終わってしまったのだ。余談だが僕はただの一度も別れた女性に復縁を迫った事はない。去るもの追わず来るもの拒まずは父親譲りの精神だ。そして惚れっぽいのも。
 郡山駅に近い市の中心部にあるオスロという喫茶店の常連客だった僕はそこでマスターから一人の女性を紹介された。『室井さんも東京の人だから、もしかしたら上手くいくかもしんねえがよ、まんだ誰も口説けねえ東京の女子大卒業してこっち帰ってきた郡山で一番大きな印刷会社の社長令嬢だ。まんず無理だっぺな、貴意ばっかり高くてよ郡山のプレイボーイも恥掻かされて尻尾丸めて逃げ出すのがおちだもんな。どうだい?やってみっかい?』
 僕はマスターからその話を聞くとむらむらと血の騒ぐのが自分でもはっきり解かった。『大至急頼む』『じゃあまってけろ、今電話すっからよ、いやあ、こりゃあ見物だっぺ』
 こうして僕は彩光プロセス・佐藤タイプ印刷等の社長令嬢である跡見女子大出の佐藤由美子を知る。十四歳で養護施設、那須学園の一級先輩の女番長に馬小屋に連れ込まれ、山かがし蛇で首締められ『ほうらここに入れて腰動かすんだ、ケツ揉んでも乳首しゃぶってもいいから金玉縮めんなよ。これからアタイの色男にしてやっから誰にもばらすなよ…な、気持ちいくなっていくべ…ほら、もっともっとケツ振れよ』『ハイ番長、気持ち良くなってきました』
 初体験はわりとオクテであったが、自分がやがて番長になってくると、その教材には事欠かなかった。オガクズ小屋、ボイラー室、パン工場いくらでも場所もあった。
 こうして十六歳で渋谷に出てきた頃には、全線座地下のハッピーバレーに入り浸りとなり、スマイリー小原の生バンドに合わせて一曲踊れば、その場でアンベラ(キス)噛んで大抵は、お泊まりとなった。自分で云うのもなんだが可愛い顔の不良少年だった。
 跡見女子大の才媛にして印刷会社の跡取り長女、佐藤由美子はカウンターの僕の隣に座ると一応僕に挨拶して『マスターいつものね』と云いながらタバコに火をつけた…ダンヒルで。
 エスプレッソが出され『学生時代からこれに決めているの』そんな彼女の素振りを僕は時間の問題だなと思いながら眺めていた。精一杯、背伸びしているのが逆に可愛く思えた。
 その日のうちに猪苗代湖までドライブして、レストランでディナータイム。会津の東山温泉不動滝ホテルにチェックインした。ここに行けば黙っていても昔、皇室しか入れなかった最上級の部屋に通される。父が政治家や地元の有力
者と会談する為に契約している数寄屋造りの特
別室だ。女将と支配人、仲番頭、仲居さん達が
部屋まで来てずらりと正座し『会長さんには、
大変お世話になっております。宜しく申してお
りましたとお伝え下さい』彼女はもう借りてき
た猫のようにおとなしくなっていた。それでも
オスロのマスターに聞いていたのだろう。
『奥さんと別れてくれる!』怒った表情で詰め
寄った。すうーとひとしずくの涙が彼女の頬に
伝わって…僕達は激しくもえた。
『続く』


 写真は那須学園番長卒業記念に十五歳の僕。↑(画像は工事中)




 新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地【四章】

 僕の父は常々こう言っていた。(臍から下に人格無し)
 郡山市中町のポスター喫茶(オスロ)の酒井マスターと冗談半分で女の話に興じているうちに、瓢箪から駒で、佐藤由美子と知り合い、その日のうちに会津東山温泉の不動滝ホテルに到着。その昔、宮様御宿泊の特別室で枕を並べることになってしまった。当然それは意図的にしたことに違いないのだが、正直なところ無学な僕の劣等感が働いていたのも事実だった。跡見女子大の才媛、社長令嬢の気高さをへし折ってやれと内心思わなかったと言ったら嘘になる。そして、何よりも太め大柄な女房の岩崎えりさんとの違いを見極めたかったの一言につきる。
 僕は馬鹿だから正直な部分にも馬鹿がつく。所謂ところの千人切りに憧れていた。そんなことは絶対為しえない男の潜在願望だと思っていたから……だが、この罰当たりな餓鬼は歯止めの利かない欠陥人間だった。そういう意味では確かに精神を疑われても仕方がない……
 そして、ミイラとりがミイラになってしまうところも毎度の事で、僕は一夜のうちに彼女の虜になってしまった。それは彼女の新鮮でスレンダーな裸体もさることながら、その文学的なよがり声に騙されてしまったと言っては失礼か?『あっ感じる…うっ感じる…ん感じる!』
 鯨神で芥川賞とったウノコウイチロウの一人称小説の主人公を思わせる様な『あ感じる』に僕の方が感じてしまったのだった。さすが跡見女子大生と感じてしまったのだ。
 遊びで知り合った新潟古町のハイミナール娘なんて、しきりに『せっつない』を連発するので、僕はびっくりして、何がそんなにせつないのだとあの最中に聞き返したら、うふふと笑いながら気持ちが良くてたまらない事の意味だと言われ、思わず萎縮して不能になった経験もあって、それに比べると『あっ感じる』の彼女は僕を夢中にさせてしまった。
 以来、僕と彼女佐藤由美子は一カ月間、郡山には戻らなかった。次の日、新潟を目指して車を走らせていた。突発的な出来事だったからあてもなにもない。ただ郡山から国道四十九号線を走ってきたから、また国道四十九号線で郡山の反対方向にひたすら向かっているのだった。
 そのまま走ればいやでも新潟に辿り着く。だから新潟を目指していたという表現は当てはまらないかも知れない。本当に後先も何も考えない、何も見えない、昨日までの世界から逃避しつつ、今、確実なものは昨日まで赤の他人だった佐藤由美子が助手席にまるで旧知の間柄のように、時には甘えて運転中の僕に撓垂れかかってきて、僕もまたその都度、車を路肩に寄せて『由美子ちゃん……君は本当に可愛いね。うーんホワッチュアイセイ…えーと、愛さずにはいられないエへへ、レイチャールズの心境です』自分の台詞に思わず笑ってしまった。
 『からかわないで真剣に私の顔みて言って。お願いだから』少しすねたようなそれでいて甘ったれてもいるような声も僕のハートをくすぐる。こりゃ負けたなと思った。
 『じゃあ照れくさいけど僕の今、たった今の気持ち言うよ。きっと二度とは言えないかも知れないから……こんなこと誰にも言ったことはないし、正直なところ僕も今、君に何をしゃべっているのかも解からない。僕の感性が言葉になって君の感性にストレートに伝わるかどうかも解からないが、もう僕は自分の言葉を押さえることも出来ない。君を見つめていると君は眩しすぎて眼が眩む。回りの世界が見えなくなる。仕舞いには君の顔でさえ見えなくなる。何時までも君を見つめていたいから僕は眩しい君をこうして引き寄せる』と言いながらリクライニングシートを倒して彼女を抱き寄せた。唇をかさねながら足でベルテックの8トラックカーステレオをオンにした。『君さえ居てくれれば僕は後ろを振り向かずにすむ。総てを失ってもかまわない。たとえ僕の命があとひと月に縮まっても僕は君とのひと月を選ぶ!僕はこれ以上うまく言えないからステレオの歌聴いて。僕の君に捧げる歌だ…』
 石原裕次郎の(二人の世界)がスピーカーから流れてきた。
 《君の横顔、素敵だね。すねたその瞳が、好きなのさ……》
 『ずるいずるい!アプローチが長すぎる……もう私、どうなっても…もっと強く抱いて…』
 佐藤由美子二十一歳、僕は二十八歳だった。文字通り駆け落ちとなった。
『続く』




 新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地 【五章】

 国道四十九号線を僕達はゆっくり走りながら、長閑な田園風景や牧場を横目に、しばし童心に帰ったり、洒落たモーテルがあれば昼間であろうと激しく求め合い、確かめ合い、その回を重ねることで、僕達二人のそれぞれの過去が払拭できるものだと思っていた。
 『早く忘れさせて…私をめちゃめちゃに壊して貴方しか知らない私に変えて!』フラメンコの激しい情熱のダンサーを思わせる彼女の一面に、後年、僕は父の東京妻の(ばらべる)慶子ママを知る事によって、父と僕の好みの共通に血は争えないものを感じた……
 『由美子ちゃん君はもうとっくに僕だけの宝、光り輝くブリリアンカットのダイヤの女王様』 『本当?じゃあ、ちゃん付けでなく呼び捨てにしてね。それから私のわがまま何でも聞いて叶えてくれる?』会津市内のブティックで上から下まで全部着替えて、アルプスの少女と化した彼女は僕に他愛のない注文をつけるのだった。
 僕達の車は県境を過ぎて津川町に入っていった。町といってもだだっ広いから、郊外のこの辺りは見渡す限りの山また山の凡そ町とは名ばかりの、夜ともなれば山賊でもでそうな所である。僕は見覚えのある杭の打ち込まれた山の前に車を止めて彼女に経緯を話してこういった。
 『ここは津川カントリー倶楽部建設予定地で、親父と何度も来ては、境界の木にリボン巻いたり、平面図と実測図で六千坪余った山林を僕が譲り受け登記したり大変だったんだ。これもね今となってはどうでもいい。この世で一番大切なのは由美子、君だけだから』
 僕は山林の景色の良いところに彼女を連れていき、ブロニカのカメラに何枚も収めた。樹木の間の木漏れ日に佇むアルプスの少女ハイジ。木陰からストローハットに白い歯を覗かせて上半身突き出したモデル顔負けのポーズ。後にこの写真もひとしきり話題になった。
 新潟からは国道八号線をのんびり南下することになり、辿り着いたら天草本渡市まで来ていた。仕方ないので今度はUターンすることにして、博多のホテルにチェックイン。事実上の婚前旅行となってしまった。郡山から手に手を取って四週間があっと言う間に過ぎていた。 僕達はここで初めて、それぞれの親に電話を入れた。僕は渋谷の建商に電話した。
 『馬鹿野郎、お前、いったい何考えているんだ?まあ今更、何を言ったところで始まらないから過ぎたことはいい。今お前と一緒にいる娘を先方の親からもらってくれと言われた。岩崎えりさんは自殺まで考えたけど二人の子供の事を考えると…と泣いていたぞ。家のリフォームも済んで話しはついてる。船木に全部任せてあるから一度俺の所に寄って、すぐ郡山に帰れ、それから会社に電話するときは長谷川君にはお前の脳タリン行状記も話してある。一番信用出来る俺の秘書だ。誰もお前の過去は知らない。これからは会社に電話をする場合は長谷川君に伝言を、それ以外は余分なことは言うな。後から俺が恥を掻く。兎に角、善処しておいた。いいか何の心配もしないで良い代わりに今後の事は言われた通りにしろ。お前は由美子さんと結婚するんだ。解かったなそれが今に俺の仕事に繋がる。まあ任せておけ。一生の思い出になるような結婚式にしてやるから』
 父の言葉が現実となるのにそう時間はかからなかった。由美子のお腹が目立つ前に僕達は、郡山グランドホテルで結婚式を挙げた。時に昭和四十八年父にとっても事業の拡大と実力を誇示する為の一つのセレモニーでもあった。しかし、諸般の事情からあまり盛大にやるわけにもいかず、かといって形ばかりのと言う訳にもいかず……朝日開発の船木さんのご努力は察してあまりある。みんな僕の責任である。学歴ひとつとっても僕は小学校を五回も転校して、中学校には殆ど出席したことのない問題児。まさかその代わり児童相談所をかわきりに、裏の学校は通算十一年最高学府大学院まで卒業しているとは秘中の秘。
 こうした楽屋裏の事情もあって多少の粉飾はあったものの何とか式は進行していった。文化放送の司会者が上がっているのを、僕は笑いを必死でこらえ神妙な面持ちで聞いていた。
 『さて、新郎は田中角栄首相に学ぶ所多く、中学校卒業と同時に実業界に進出。会長のプロジェクトの郡山分室長を努める傍ら、新婦のご尊父の印刷会社の開成支店も開設し…』
『続く』



 新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地【六章】

 この日ばかりは郡山グランドホテルも大入り満員だった。佐藤家の親族は殆ど地元だから良いのだが、室井家の親戚には山梨、東京、埼玉、栃木、茨城、岩手と遠方が多い。特に祝辞を述べる為にわざわざハワイから駆けつけてくれた秦野カントリー倶楽部の佐藤敏夫社長には、まさか後年、板橋の日大病院で父室井栄光臨終の際、一番先に駆けつけてくれたご子息の友久氏とマリアンを詰問したり、五洋物産会長室に電話を入れ、秘書を怒鳴りつける事になるなどとは夢にも思わなかった。その経緯については別の機会に会長の録音テープもあるので詳細に明らかにするが、ご恩はご恩で本当に有り難く、僕の耳にしっかりと刻まれている。
 『そう言うわけで、何は兎も角、ハワイから駆けつけた訳でして、大変義理堅いお父さんの子である隆夫君もきっと義理堅い成功者になってくれると信じています』このご祝辞だけは生涯忘れられないスピーチでその信じてくれたお気持ちに反して三年足らずで破局を迎える事になろうとは………
 渡部恒三議員を初めとする福島県の政経界有力者からの祝電に続いて一回目のお色直しの後 二代目コロンビアローズが《東京のバスガール。智恵子抄》を歌いだしたのをかわきりに、牧秀雄とロス・フラミンゴスのラテンショー、杵屋社中の三味線で踊りも出るやらのどんちゃん騒ぎ。舞台の登場人物は、必ず終わりに『室井会長さんには日頃よりお世話になっておりまして……』とつづくので、僕はもうとっくにこれも仕事のうちと割り切って早く終わらないかなと内心思っていた。そんな僕の気持ちを察した訳でもあるまいが、『えー第一部はこの辺で休憩に入りますが、本日の新郎新婦これから海外へ新婚旅行に出発致しますので、どうぞ皆様で新郎新婦門出の祝福に、お見送りをお願い致します』
 郡山グランドホテルのロビーに出ると、関係ない人たちが大勢いて、無料のディナーショーを見物出来るよう入り口のドアをオープンにするなどの心憎いばかりの気配り……
 『いってらっしゃーい、おしあわせにねー』の声に見送られて、晴れて公認の夫婦となった僕達は、打ち合わせどうり開成の自宅に帰った。玄関で出迎えたのは、彼女の愛犬のポメラニアンの勘太郎だった。『勘ちゃん良い子にしてお留守番してた?そう寂しかったの御免ね…』名付け親は僕で、勘太郎月夜から取っ
た。欲しがる物は何でも買い与えて、
隣近所の注目を浴びたのは事実だ。
 彼女の申し出に難色を示したのは、
ただ一度、母校の跡見女子大のオース
トラリアでの同窓会の出席だけだった。
 お嬢さん学校だけに何でも派手なの
は解かるが大きなお腹でみっともない
事と彼女のいない生活は、僕には耐え
られなかったからで、彼女はそう告げ
ると『私も貴方とこうしていたい』と
膝の上で戯れていた愛犬の勘太郎を、
放り投げて僕に抱きついて『もっともっ
と幸せにしてくれる?』
 『まだ足りない?』僕が彼女の耳に
唇を押し当てて呟くと、一層甘えて、
『最初のことば…私…忘れていないか
ら…あっ感じる…』と呻いた。
『続く』
写真は結婚式の後、愛車ポルシェで、↑        
不動滝ホテルに向かう父。峠の茶屋で。 
(画像は工事中)



 新潟・津川カントリー倶楽部・消えた六千坪の僕の土地【七章】

 建商の尾崎社長は、津川カントリーの地続きの僕の六千坪については、当然、熟知している。父、室井栄光から詳細を聞かされていたのだから。福島の朝日開発の船木社長兄弟は、僕達の駆け落ちの尻拭いをやってくれた当事者だから、殊更その行方についても詳しい。そして誠に申し訳ないことをした岩崎えりさんは、郡山家裁の調停の席でも一言も言葉を発しないまま、退廷していった。彼女の目はしきりに何かを訴えているようなのに無言で…退廷していった。
 開成の自宅に帰ってみると由美子もこの日ばかりは気を利かしたつもりか、事情を知っている両親に呼ばれて実家に帰っていて留守だった。
 僕は咄嗟にピーンとくるものがあって救急箱を開けてみた。岩崎えりと僕しか知らない二重底に、便箋にしたためられた岩崎えりの涙の滲んだ文字を僕は読んで愕然とした。
 (パパは本当はとっても心の優しいパパなんだ。私が本当のパパの優しさを誰よりも一番良く知っている。私はパパの帰りを何年でも待っていたかったのに、パパと一緒にどこかに行った女性の両親が娘たちの前で首を吊れ、死んで侘びろといわれ、それが嫌なら実家に帰るんだと…パパのお父さんに電話しました。可哀想なパパ。どうにもならないことを知らされて私は罰があたったことを悟りました。パパの前の奥さんからパパを奪った罰が今、私にあたったんだ…きっと罰があたったんだ……)
 僕は岩崎えりの、悲痛な胸のうちを吐露した文字を凝視して、金縛りにあったように暫くその場を動けなかった。僕の軽率な行為がこうゆうかたちで発展していったのかと、目から鱗が落ちた思いで、以来、由美子の両親に対しても、父に対しても或る種の感情を抱いて接して行く事となる。やがて、それが破局に至のだが、総ては僕しだいで何事も回避しようと思えば、最悪の事態は避けられたのだ。そうできなかったのは僕の優柔不断な、成りゆき任せの無責任な性格の為で、確かに僕は人間失格の烙印を押されても仕方がない。
 夕暮れを過ぎた頃に、由美子は勘太郎を抱いて帰ってきた。部屋の照明も点けずに佇んでいる僕を見てさすがに、何かを敏感に感じ取ったのか、由美子も僕に声をかけるのをためらって無言だった。僕は自分の感情を押し殺すように、努めて平静を装い由美子のいる居間に入って行った。彼女も普段と変わらぬように、ペットの勘太郎を膝の上に抱き、テレビを見ていた。
 何とも気まずい空気が漂って一秒が長く思えて仕方がない。それに耐えられず声をかけたのは僕の方だったが、振り向いた彼女の顔は涙に濡れて、堰を切ったように嗚咽の声を漏らすのだった。実家の両親に何かを聞かされたのだろうか、気高い彼女にしては珍しく落胆と脆さを曝け出したのだった。砂上の楼閣の即席カップルに自尊心が傷つけられでもしたかのように…
 『由美子どうして泣くの?君のそんな顔を僕は望んでいないよ。早く僕だけの眩しい君に戻って笑顔をみせて』彼女はそんな僕に放心したような顔を向けて一層涙をポタポタ落としながら、『私、貴方と出会わなかった方が良かったみたい。貴方の優しさが今の私には苦痛なの…御免なさい…私、ショックで上手く伝えられないわ…』
 僕は彼女の胸のうちを垣間見る思いはしたが、それ以上は立ち入ることが出来なかった。そこに僕の卑怯さがあるのかも知れないと今思う。
 『僕が今、君に言える事はひとつだけ、総て僕の責任だという事。そして僕たち二人の課題はスタートはどうあれ、幸せの頂上目指して、同行二人で登る事だ。その為にだったら僕はどんな犠牲も厭わない。ただし君の眩い笑顔が総ての原動力であることを忘れないで欲しい』
 今泣いたカラスがもう笑った…由美子はペットの勘太郎を放り投げると僕に抱きついてきた。
 『私、やっぱり貴方に出会えて良かった。私、貴方に愛されている以上に貴方を愛している事にようやく気づいたの。愛しているわ…だからもっともっと私を夢中にさせて』
 僕はそんな彼女の涙に濡れた顔を唇で目尻、頬、鼻孔と掃除機のノズルのように吸っていきながら唇に到達すると彼女の舌が猛烈な勢いで進入して、僕は絡ませながら噛む真似をすると、『痛いっ駄目、もっと優しく噛んで…あっ感じる感じる…お願いもつと夢中に…ね』
『続く』

 



 妹が嘘を貫く理由   【はじめに】                     室井宏太


   佛の十戒
1.生きとして生けるものの生命を大切にしなくてはならない
2.盗みや不正を犯してはならない
3.夫婦の道を乱してはならない
4.うそ偽りを言ってはならない
5.迷いの酒や思想に溺れてはならない
6.他人の過ちを言い触らしてはならない
7.おのれの自慢人の悪口を言ってはならない
8.物でも心でも与えることを惜しんではならない
9.激しい怒りで自分を失ってはならない
10.佛陀の教えを疑ってはならない


(画像は工事中↑)

 ここに掲げた【仏の十戒】は曹洞宗宗務庁が、仏教徒の生活信条として守らなくてはならない戒めを文言としたものだが、両宗祖である高祖承陽大師(道元禅師)も太祖常済大師(螢山禅師)も直接これを認めた訳は無く、霊感商法の元祖である永平寺、総持寺の両大本山?(大本山が二つあるのも金儲けの為の同格合併か?)の生きている僧侶の都合の良い御布施集めのマニアルである。


 妹が嘘を貫く理由【一章】
(2000年作)

 仏様ならぬ煩悩の世界の我々人間には、キリストの十戒も仏の十戒も理想に過ぎず返って罪作りに為ることさえある。誰にでも人に言えない秘密はあるものだ。そして往々にしてそれが次の嘘を招き、悩みとなって自己弁護の必要性から終には、肉親までも騙し、結果的に最後は自分が苦しむことになるのである。それを又、謂われ無き仕打ちと、涙で誤魔化して迫真の被害者を装う。
 その時の彼女はもう完全に上辺の悲しい母親と違って内面女夜叉の人非人である。戸籍をみれば解かるように七月に結婚して僅か二カ月で別居、十月には長男を生んでいるのである。僕が父と渡辺マスに頼まれて腹の子供を中絶するよう説得しても、妹が首を縦に振らない理由は七カ月目に入っていて、中絶は不可能であったからで、鹿沼市末広町の嫁ぎ先である山中精肉店の両親に臨月の矛盾を見破られては困るから飛び出したのである。(詳細証拠後述)








(画像は工事中↑)
 妹の嘘に父も僕も渡辺マスも騙されて、結婚式の直前にいきなり出席を頼まれ、僅か二カ月後には中絶の説得役を、その後の離婚話の調停役にまで借り出され、僕は山中家の両親に随分と失礼な発言をしてしまい面目が無い。僕は当時、不審に思い地元周辺のディスコで知らぬ者はない妹の行状を知る。
 市内松が峰町の通称(気違い部落)と言われる歓楽街は、ヒカリ座映画館やディスコ、飲み屋の密集する地域であるが、殆どのディスコで……。
『続く』



 妹が嘘を貫く理由【二章】

 妹は僕と違って、賢い子供であったと記憶している。そして愚かなる僕の口から言うのも何だが兄思いの、気持ちの優しい、今にして思えば(何故なんだろう。如何してなんだろう?)としか表現出来ないのだが、一言で言えばやはり親の因果が…と言うことに落ち着くのだろう。父の敷いたレールの上をひたすら走る女機関車なのだ。定めと言うは酷であるが、環境が大きく彼女の人間性を変えてしまった。父が抱いていた理想の娘ではない、早くから乳離れした親から独立した別人の女としての彼女が、とうに存在しているのを父は知ってか知らずか…薄々感じてはいたのだろうが、後の処理をキチンとしておかなかったばかりに禍が尾を引いているかの感がしてならない。
 僕が市内、松が峰町の通称(気違い部落)と言われる歓楽街の行く先々のディスコで聞いた妹の有名な行状については、その全部を信ずる訳にもいくまい。
 何故ならば、その大半はナンパに失敗した輩の妬みでしかないと直感したからで、その腹いせの流言飛語に尾ひれが付いたもので、寧ろ、それほど宇都宮の住人には珍しい眉目秀麗な都会的センスの持ち主で、名門難関県立宇女校から東京の有名デザインスクールに通学の為、渋谷区宇田川町の親戚である杵屋家元の所に下宿して、傍目は兎も角、宇都宮の親戚からもそういう恵まれた環境に憎悪の念が芽生えて、やがて親戚分裂に至った経緯も僕は知っているからである。僕は総てを承知の上で、妹と敵対し、やがて家族ぐるみで、罵りあいに発展していった、
宇都宮の親戚につい
ての真相を、何時、   (画像は工事中↓)
公表するかのタイミ
ングを考えているの
だ。実に複雑な心境
であるが、今、妹を
初めとして親戚の殆
どに或る種の復讐を
胸に刻んで誓って居
る身でありながら、
 この当時の妹を偲
べば、僕の最も自慢
出来る、宝物にも匹
敵する、何処に出し
ても恥ずかしくない
日本一の可愛い妹で
あったのは事実で、
懐かしい。
『続く』



 妹が嘘を貫く理由【三章】

 僕は無知無学で、人生の大半を父の脛かじりに委ねてきた大馬鹿者であるが、父はそれだけではなく、事あるごとに、その真贋の見分け方を父の経験に照らし合わせて、くどいほど叩き込まれたのも事実で、本来なら授業料を払わなくてはいけないのに、逆に『ほら、通学費だ!俺の言ったことが何時か役に立つ日が来るかも知れないからな…ほら、ついでに皆勤賞も取って置け』と言って百万、一千万単位の金を生涯与えてくれたのだった。
 その事を一番正確に知っているのは誰あろう妹のまり子だけである。父は僕にも断った上で、妹の耳にも入れておくべき事は事前に知らせておいてくれた。 それほどキチンと整理していた父も、日大板橋病院に入院してからは魑魅魍魎の生け贄と成り果てて、長男の僕でさえ、臨終の一週間前からは病院に行けない状況にあった。其の筋の脅迫の声は全部、録音してあり父の真相告白の声もDATで何時でも再現出来るようにビデオ製作してあるのだ。
 妹が僕から受け取ったそのビデオを今でも保存していて、そっと生前の父の声を聞いているのかどうかは分からない。僕と妹は現在、骨肉の争いの渦中にあるからだ。父が最も懸念していて、事あるごとに釘を差すように僕を牽制していた事態にあるのは、正直なところ父に申し訳ないと率直に思うが、これも定めで、父臨終の数カ月後に僕はその心境を、愚かな狂歌にこう詠んだ。
 《煩悩に 踊りし人の 振る舞いを 涅槃の主は 如何ぞと思い》
 妹がまだ母親に成る以前の(まり子、たかおちゃん)と呼びあっていた頃の少ない期間ではあるが、お互いの名前で会話を交わしていた頃には、本当に誰もが思う気立ての良い娘であることは、現在、敵味方に別れていて憎悪の念を抱いていても、歴然としたその事実は認めるもので、むしろ妹を妬み、己の環境が凋落の破滅に向かって行く、その恐怖心が妹を非難することで少しでも癒すことが出来ようと思う低次元の思考しか沸かない従姉妹の嫉妬心に端を発するものであることも、知らぬは何とかばかりなりで、僕は最初から全部知っていて確かに一時期はお世話に成ったこともあって、騙された振りをしていたに過ぎないのだ。もし、僕が真相を知っている人の証言テープや当の本人の声を聞かせ、公表したら普通の神経の持ち主ならば、とても恥ずかしくて宇都宮には住んでは居られまい。二人の子供も学校に行けなくなって、家庭崩壊は必至である。異論があればインターネットで発表するが、僕は全て相手の心しだいで行動するように自ら心がけているつもりだ。十年前に父の墓前に僕はあえて当の従姉妹を連れていった。その時の心境をやはり狂歌であるがこう綴った。 《先々は 知らぬ我身の 為すべきや されど親戚 親戚とする!》
 由緒ある塩原温泉の川魚問屋(料亭うぐいす亭)の身上を博打で食い潰し、女房子供を追い出して、女漫才師と一緒に成った散り面桜刺青の般若の松こと人切り松の(ろくろく時代)古い親戚は皆知っているのだ。子供に罪は無いと黙っているのを……僕はそれほど甘くはない。妹をかばう訳でもない。
『続く』



 妹が嘘を貫く理由【四章】

 今、僕は妹を正直のところ妹としてより、愚かな兄を馬鹿にし、父譲りの、表現は悪いが千三つ屋としてみている。不動産業は千のうち三つ正しければ、後の九百九十七は嘘でも、嘘から出た誠にするのも仕事のうちと冗談で良く聞かされていたからである。その点、妹は脳タリンの僕なんかと違って、さすが父の後継者に相応しい資格免許の所持者で、親戚中探しても二人と居ない眉目秀麗には違いない。僕は事実と心の追求がノンフィクション雑文家の使命と決めているので、起承転結や、てにおは迄無視して、それでも少しは読者も居るのは確かなので、老骨?に鞭打って(無知売ってか)拙文綴りまくっているのだが、脳タリンの愚かものを自称するだけに創作の器用さは持合せが無い。有るのは普通の人々と違う体験で、殆どの人が一生無縁であるような、いわば生き地獄のような体験とその反動の野放図な行状記だけである。
 父はそんな僕を『お前は人の七回分ぐらいの人生経験してきたんだから幸せだと思え』とやはり冗談半分で言っていたが、確かにそのとうりだ。











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 明日のことは僕にも正直分からない。基本的なライフスタイルの事ではなく、血縁の流れのことである。血は争そえぬとか、血は水よりも濃しとか巷間ささやかれてはいるが、いざ当事者間に加わればそのような悠長に構えていられる筈もなく、『何を考えて居るんだかウフフフ』と従兄弟の波多野晃一が当の、まり子の従姉妹の美知代に電話で嘲り笑っていたと、美知代からの伝言。僕には風聞は関係ない。仏門を潜り解脱叶わずに還俗した野狐禅の愚か者に過ぎない僕ではあるが、多くの善意に支えられ、かろうじて日々の暮らしは生きるのみはた易い環境と相成った。(ナシはヤシよりも強し)知る人のみのスラング。
 仏教で血脈とは師から弟子に延々と教えを伝えて行くことを指すが、取りあえず骨脈は骨粗鬆症に入った者達の骨肉の争いを伝えて行く事かな?。
『続く』



 妹が嘘を貫く理由【五章】

 妹のどの写真を見ても分かるように、この上ない恵まれた家庭のお嬢さんで子供を実家に戻って産んでさえ、出戻りの三界に家無しの片鱗さえ感じさせない事は歴然である。毎年のように外車を取り替える父の経済力が離婚の傷心をも癒して、親子共々、実に幸福そうに見える。そして自分の離婚体験を手記にしてクロワッサンの作品募集に投稿、見事に最優秀の栄冠に輝き賞品の三菱ランサーを貰い、次号にはその車での日光ドライブ紀行まで掲載されている。
 経済力、家庭環境、評判、実力いずれにおいても同じ市内に住む親戚とは、大逆転して、それに起因している親戚分裂は妹には全く非はなく、嫉妬心以外の何物でも無いことは、当初から僕には分かっていたのだ。それでも僕にだけは何かと声を掛けてくれて、食事をご馳走に成ったり愚痴を聞いて慰めてくれたりして、その恩があるゆえ僕の胸中は複雑であったのも事実だ。
 正直、僕は憎まれてはいなかった。それは僕が無知無学の脳タリンだったから従姉妹たちも僕には優越感を持って接することが出来るからに他ならない。 父の破滅によって物心つく頃から大人の顔色を伺って生きる術を否応なく覚えさせられた放浪癖の僕は、親戚の誰よりも劣る落ちこぼれであることが、幸いしたのか上辺は可愛がってもらったのも事実なのだ。
 父も含めて妹はその点で(出る釘)の存在であったことは歪めない。まさに濡れ衣着せられた妹は、そのことのみをとらえれば可哀想である。
 僕はどんなに憎らしい相手でも一応は相手の立場に成って考えてみることにしている。相手の目線で自分を見てみると意外な自分が発見出来ることがあり、過ちを事前に回避することが出来たりするのを経験しているからだ。
 今はまだ結論はだすまい。唯、言えることは市内の春木屋の支配人に過ぎない月給一万五千円の貧乏人だった父が、次々に外車を取り替え、山の上に家を建て、愛人に囲まれる生活と経済力の基盤を築いた基は、僕が継母の渡辺マスに疎んじられ、いびられて家出をし無賃乗車で渋谷の親戚である河野不動産に逃げ込んだからである。絶縁状態にあった河野家と復縁したのも、僕の家出から端を発しているのだ。その一部始終を知っている河野家一族は、その事を、語ろうとはしない。絶縁状態に成った原因が渋谷のテキヤだった父のヒロポン中毒に乗じて、母に渡すよう預けた生活費を使い込み、若林の六畳一間の長屋で途方に暮れて泣きながら『タカオ、お母ちゃんとまり子と三人で、死んじゃおうか?』と毎日言われるたびに、子供心に何て答えて良いものか分からず、ただ首を横に振るだけで、それから間も無く母は、僕と妹のまり子を連れて、宇都宮の松が峰の豪邸(吉沢興業社・松栄家)を頼っていったのだった。隆盛の頂点にあった父の実兄で、岡晴夫を抱える県内一の親分で、結果的に、この居候生活が、母にとっては死出の旅に、僕にとっては放浪の旅に、そして妹のまり子にとっては後年、この従姉妹同士の経済環境大逆転による親戚分断に至るのだが、歴史は繰り返すの例えは親戚間にも言える事であるのだ。
『続く』



 妹が嘘を貫く理由【六章】

 本来、親のやる事に子供は口出しするべきではない事は常識である。ましてや、その親同士が実の兄弟であった場合においては親戚なのだから…。仲良し兄弟が成長して別々の所帯を構えれば、どうしても家族優先に物事は進んで行くようになるのも当たり前の事で、親戚とはいえどもそこに他人が加わると、とかく問題が生じる場合もあって、他人とはつまり嫁のことである。
 僕の父を悪く言う親戚は僕の知る限りでは、盛岡の母の実家と父が生存中に絶縁した宇都宮の吉沢家だけである。盛岡は母の実家だから気持ちはまだ理解できる。父のせいで苦労の末に場末の酒場で二度目の脳溢血で倒れて、二時間後には息絶えたのだから……親より先に逝く不幸の鋒先を父にむけるのは尤もである。例え実際は実の姉妹達が出戻りの母の世間体の悪さから、いびり続け、短刀で自害を図ったところを、絹子叔母が寸前に気ずき事なきをえた事等は隠して、もう、既にその時から母は生ける屍であったから極力、実家に頼らず、まり子が、厨川小学校に入学する時の赤いランドセルは、松尾鉱山の技師に身を任せた代償の、謂わば母の貞操と引き換えの貴重な赤いランドセルだったのを、僕はまり子の口から『忘れられない母の悲しい思い出なの』と聞かされた時に、まり子もある意味で、物事の真贋、機微をとらえている利発な、母の血を、分け合った妹として認めえる唯一の証とでも言うのか…(母の悲しみを知っているのだな)と僕とまり子の利害関係を超越した(一致)の部分で、何とも悲しい不幸な(一致)ではある。しかし、何はともあれ、盛岡は親戚である。父の入院中も通夜も葬儀にも、参列してもらった。
 父が生存中に、絶縁した唯一の宇都宮の吉沢家の場合は、僕が独断で一計を案じ、父の一周忌に復縁を認めたものだが、波多野イマ叔母さんの進言は誠に正解であった。波多野の叔母さんには、僕は何とも申し訳ない毒舌を吐いてその罰は天罰として未だに墓前に非礼を詫びようにも、それすら叶わぬ身である。
 せめてもの慰めは、生前の叔母さんとの会話の録音が二時間分残っている事で、父が子供の頃から、如何に叔母さんに可愛がって育ててもらった、ある意味で母がわりの姉であった事か、又その姉弟関係が父の臨終まで生涯変わらぬものであった事は、何事にも勝る父の喜びであったに違いない!。その叔母さんの声に吉沢家の秘密が明らかにされており、それは何も秘密ではなく親戚一族の殆どが知っていて理由あって伏せている事で、道理で父一周忌には事情を知り尽くしている親戚の欠席届けが、多かったのも分かり、又、その為に奔走したまり子自身もそうする事でそれを認めまいとする抵抗の意思表示である事は良く分かった。そしてその後は見てのとうりであるが、いずれにしても脳タリンの僕から見れば(王様の耳はロバの耳)で利口とずるさを兼ね備えていないと親戚付合いも難しいのも事実で、いち早く一周忌に宣言して、盛岡の喜美江叔母より(立派!)のかけ声も忘れてはいないが、僕が渋谷の河野家に家出した事から始まった父の不動産業成功の裏に隠された冤罪秘話を知れ。
『続く』




 妹が嘘を貫く理由【七章】

 父が不動産業になったきっかけは、継母の渡辺マスに『お父ちゃんは、春木屋の給料三千円も下げられて、一万二千円に成ってしまったんだから、もうタカオちゃんの面倒までは見られないし、おこずかいも上げられないからね。それが嫌なら家を出て、何処でも好きな所に行って頂戴ね。私はタカオちゃんの親じゃないんだからね』と僕が毎日のように嫌みを言われて、それ以前にも、親戚、父の知人宅から小学校の担任である藤倉先生の所にまで居候の盥回しに、またかと思い意を決して渋谷の河野家に、それまでの一部始終を打ち明けて、河野家と父は五年ぶりに再会、それまでの親同士の感情を総て水に流して僕は、中学二年に進級したばかりの春の終わりだったが、そこでもう大人の重大会議に加わって、因果を含められて『タカオ俺を信じてくれ!お前とまり子を育てる為の再婚で、愛情はないし、入籍もしていない。お前が選んで終着駅にここに辿り着いたのも俺は良く分かっている。だがもう一人まり子がいる!まり子にはどうしても母親が必要だ……』父も河野のワカ叔母さんも泣いていた。つられて僕の眼からもポタポタ涙がテーブルの上に落ちたが、脳タリンの僕はあまりその涙が熱いので一瞬、(一体、何度ぐらいあるのかな?)と馬鹿な事を思ったりして、又そう思うことで涙を止めようとしていた。
 『俺はお前と一緒に渋谷に戻る。もうそういうことに決意した。ここにいる姉とお前しかこの事は知らない。俺はお前を見捨てたりしない…もうあの家に帰る必要も無い』『タカオやお前ねえ…やっぱり、お鶴さんが呼んだんだねえ、もうすぐだよ……何時でも叔母ちゃんとこに遊びにおいで、ボクちゃんと良く遊んで育ったんだから』この叔母さんの家の裏はボクちゃんと僕が三年間良く遊んだ遊び場で山手線が走るとがたがた家まで揺れる遊び場だった。ボクちゃんと僕は良くその線路の上に五寸釘を並べて、電車に踏み潰された五寸釘でナイフを作っては遊んだものだった。
 僕は父と一緒に河野家を後にすると、宇都宮に帰った。ただし、旭町の家には戻らず父に言われていたように宇都宮児童相談所に預けられたのであった。 確かに子供ではあるが、雪の降る夜に盛岡の八幡神社の賽銭箱の後ろで野宿して、賽銭箱の引き出し開けたら五十銭玉や一円札に混じって五円玉十円硬貨も沢山入っていたので失敬して買い食いの味も盗みも覚えた非行少年には違いない。僕と同じ不遇の環境で育っても妹のように悪さと無縁の者もいる事を思うと確かに僕はその点非行少年のレッテルは張られても仕方ない。
 ただし、これだけははっきり言える事だが、僕のこういう事柄が縁で渋谷に帰り咲き巨額の富を築いた父に群がった親族達は許せない。その訳は、自分達の事にはホッカムリを決め込んで、逆に僕を非難して、きれいごと吐く知能犯詐欺師の輩をである。代表して取り敢えず波多野晃一は、嘘を並べる理由を説明してもらいたい。一番、理路整然としている紳士の見本が何故?事と次第では、晃一従兄弟の録音の声にあるように、命のやりとり引き受けた。
『続く』




 妹が嘘を貫く理由【八章】

 仏教の教えでも、嘘はそれが善行の為にという事であれば、方便という事で許されるのだが、あくまでも真理の手段としてのみである。
 私利私欲の為に人を欺く嘘は地獄、餓鬼と共に三悪道の一つである畜生と言うのだが、脳タリンの僕なんか悪戯に歳を重ねて、窮地に立たされてから慌てて仏門を潜り、少しばかり修業の真似事したところで所詮は在家、ラゴラの寺族に成るには遅すぎた。根が馬鹿でお調子者だから人様に迷惑は掛けても法話等、とてもとても恐れ多い事で、どちらかと言えばむしろ畜生の部類である。
 室井と言う名も決して悪くはないが、どうせなら福田の名前で産まれたかったと馬鹿みたいな事を真剣に思ったりするアホである。
 福田とは仏教で(仏・法・僧)つまり三宝の意味である。功徳の種まきだ。トンジンチの化身である妹に、僕は中国の貴石イエローライスストーンで彫刻した白衣の観音立像をプレゼントした。三年前の事である。その時、妹は僕にこう言ったのだ。『たかおちゃん、後からあれは三百万もしたものだからなんて請求しないでしょうね?』確かに高価なもので一度で払える金額ではないが、愚痴も言わずに女房は二十四回払いを一年前に完済した。妹のまり子に疑心暗鬼を植えつけたのも僕のせいである。










(画像は工事中↑)

 僕のこれからの父母との約束は、不言実行とするが、父母以外の者には有言実行とする事に決めた。
 妹は恐らくこれからも一生、嘘を貫く事であろう。それが正しい方便の嘘だ。父の後継者に相応しい家長としての貫きは想像するに可哀想なくらいの犠牲を背負った貫きで、嘘と呼ぶには忍びない……。頑張りなさいと言いつつ、それを追求する僕も又、六道の流転に漂う愚か者である。輪廻とも言う。
『続く』



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